本当に大事なのは、被害者の方じゃないの?

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ニュースを見て思う事

未成年が絡んでいる様なこんなニュースを見ていて思うけど、

だいたいコメンテーターが、

「少年法が甘い」とか

「この少年が特別なだけで、他の加害者とは違う。」

みたいな事を討論しているけど、

本当に必要な討論はそこじゃないと思う。

一番大切なのは、

これから被害者を出さない為に何が出来るか。

だと思う。

また、『この人は特別』というのなら、どうやってその特別を見分けるのかを考える必要があると思う。

単純に、「この人特別だから、何も刑法は変えなくてもいいよ。」って言うのならば、”大事な人が同じ理由で殺されても同じ事を言えるよね。”って思う。

性善説・性悪説

そもそも刑法は、性善説を元に作られているから

どんな加害者であっても、頑張れば”いいひと”になれる。

という考えで作られているから、

そもそも、被害者の事なんか考えられていない。

そして一番肝心な事は、

誰が、「この人いいひとになったね。」ってお墨付きを出すのかって事。

そのお墨付きを出す人は、人の心を覗けるわけでもないのに。

謝罪

たぶん、この犯人も裁判が始まったら、

手紙なんかの謝罪文を読むだろうけど、

判決は、この手紙を出すか、出さないか、を大きく考え

心の中にある気持ちなんか度外視して判決を出すようになる。

確かに、裁判官は感情を入れたらだめだけど、

被害者からすれば、

感情の入ってない手紙なんか、ただのゴミとしか思えない。

もう少し、世の中が被害者に優しくなる事を心から願っている。

ちなみに、僕も過去に被害にあった事があり、刑法の馬鹿らしさや、「とりあえず謝っとけ!自分が助かるから」みたいな慣例を身に感じたからこそ、この記事を書いています。

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