正義のかたち

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みなさんは、『正義とはなにか?』と聞かれたら答えられますか?

はっきり言って僕は、答えられません。

でも、こんな感じではないかなというのを

今回は書こうかと思います。

五分の理

デールカーネギーさんが書いた

「人を動かす」という本を読んだ事はありますか?

僕はあの本に出てくる、「盗人にも五分の理を認める」の章を読んでびっくりした事を、今でも覚えている。

この章では、「犯罪者には犯罪者の正義がある」という様な事が書いてあるのです。

普通に考えたら犯罪者=悪のイメージがありますが、この「普通」が問題になってくるのだと思います。

その普通は誰の目線なのかという事。

たぶん、大半の人はニュースなどを見る時は、自分の目線で見ている事が多いのでは無いのかなって思う。

例えば、人が殺されたという様なニュースを見ると、「その犯人は捕まれば良い。」とか「悪い事をしたのだから捕まって当然。」というような意見が出てくるのではないかと思う。

でも、その犯行に理由があったとしたらどうだろうか?

例えば、その犯行の理由が、「20年近く親に家庭内で暴力を受けていて、そこから逃げ出すための犯行」だったとしたらどうだろうか。

もし、こんな理由が犯行の裏側にあったとしたらどうだろうか。

今まで通り、「犯人は悪い事をしたから」と言えるだろうか。

正義の形

まず、正義と聞くと、

『とりあえず良い事だよね。』

というのは分かる。

そして、その”良い事”と言うのは

たぶん誰しもが持っていて

でも、”良い事”の認識は違うと思う。

人を助ける事が、良い事の人が居れば

自分に利益を集めるのが、良い事の人も居る。

そうやって人によって正義の形は違う。

だから、僕は

『正義とは、水の様なモノではないかと思う。』

ある人は、丸の形の器であれば丸に変わり、四角い器であれば四角に変わる。

正義という概念はあるが、何が正しいかは、誰もが曖昧にしか分からない。

仮に誰かが「俺は知っている。」と声をあげたとしても、それはその人の正義であって万人に通じる正義では無いと思う。

では、何がベースに存在しているのかというと。

僕は、『共感』では無いかと思う。

例えば、

少し前にあった堀江貴文さんの餃子の店に入店する際に堀江さんの同伴者がマスクをしていないと拒否されたというニュースで考えてみる。(ちなみに正義という観点から考えるだけなので、どちらが正しとかの意見では無いです。)

Yahoo!ニュース
Yahoo!ニュースは、新聞・通信社が配信するニュースのほか、映像、雑誌や個人の書き手が執筆する記事など多種多様なニュースを掲載しています。

堀江さんの意見は、たぶん「なんで食べる時は、外すのに入店時にマスク着用を求められの。」または、「そういうルールなの?と聞きたいだけ。」という事を言いたいのかなって思う。

店側は、お店のルールとして、入店の際にマスク着用をあげている。そのルールを守らず入って来ようとしたから止めて問題になった。

詳しい内容は、正直な所分からないので、ニュースに出ているこの内容で考えようと思う。

ヤフーニュースの”みんなの意見”で見てみると「お店のルール守れよ」とか「営業妨害だ!」などの意見が多く出ている。

堀江さんの意見が正しいという人は、「単純に元々堀江さんが好き」、「自粛ムードにイライラしている」「コロナより経済が止まるのが怖い」などで共感できる部分があるのではないかと思う。

また、

お店側の意見が正しいという人は、「単純に堀江さんが嫌い」「単純にこの店が好き」「コロナに感染するのが怖い」「法律的に考えると」などで共感できる部分があるのではないかと思う。

どちらにせよ、自分自身が何かしらの共感できる部分が存在している。

という事は、どちらの立場でも『正義』が存在しているという事になる。

共感というキーワード

今回のコロナ問題にしても、「経済的に危機感がある人」と「身体的に危機感がある人」ではコロナ政策でも意見は変わってくると思う。要は、何が自分にとって危機なのかという事で。

こういう風に考えると、戦争でも人間関係でも色んなものに当てはめれると思う。

まぁ、戦争はそういう風に世論だったりその時の指導者などが半強制的に「○○のために」などと押し付けている場合もあるが…。

この、共感は当たり前だが、コトによって増減する。

明らかに共感が得られるモノもあれば、全く共感を得られない場合もある。

例えば、

「戦争が無くなると良いな。」という世界平和には共感できる人も多いと思うが、「自分の思い通りに国を動かそう。」という自己中心的なコトであれば、共感できる人はかなり少なくなる。

それでも、

「戦争が無くなると良いな。」

「自分の思い通りに国を動かそう。」

というどちらの考えにも何かしらの正義がある。

生活に活かすには

この記事で一番大切なのは、見方で正義は変わるという事。

会社のむかつく上司や学校のむかつく先輩には何かしらの考えがあって、その軸を中心にしゃべっている。

それは、会社全体の事を考えての事かもしれないし、上司のちっぽけなプライドのためなのかもしれない。

その「何か」を想像しながら、会話をしていくと揉める事は少なくなると思う。

また、相手の思考を利用して自分の意見を主張するという事も出来るだろう。

なによりSNSなどで流れている情報を鵜呑みにせず、これはこの人の考えだからと客観的に思える様になる。

そうする事で、今ニュースにたびたび上がっている様な誹謗中傷も減っていくだろう。

 

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