映画 聲の形 (こえのかたち) から学び 誹謗中傷 考える ネタバレ有ります。

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映画 聲の形 から 読み解く

この記事は、『聲の形』の映画、原作コミックから、人が繋がるという事はどういう事かについて考えていきたいと思います。途中多くのネタバレがありますので、まだ見ていない方は映画やコミックから見た方が良いですし、またその方が理解が深まると思います。

また、私自身の考えも織り交ぜますので、原作者大今良時さんの想いとは違う部分もあるかと思います。

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あらすじ

主人公 石田 将也のいるクラスに先天性聴覚障害を持つ少女。もう一人の主人公の 西宮 硝子がやってきて物語は始まる。

西宮 硝子はノートを通して仲良くなりたいと伝えるが、小学生の知識や経験では理解しきれず、好奇な対象として扱われ、石田 将也に至っては、宇宙人の様な不思議だらけな存在として扱われている。

そこから少しずつイジメに発展していき、補聴器を何度も壊したり、紛失したりしている。

西宮 硝子に味方するものも現れたりもするが、やはりイジメの対象が自分に移る事を嫌い、逃げだしてしまい。西宮 硝子は転校に追いやられてしまう。

西宮 硝子が転校した次の日、石田 将也自身がイジメられている事に気がつき、そこから小学校、中学校と孤立してしまい、対人恐怖症に陥ってしまい、物語が動き出す高校3年の時は、信頼できる人以外は顔に×マークがつけられていて、その状態が表されています。

西宮 硝子が転校する前から石田 将也へのイジメは始まっていたが、西宮 硝子が朝来た時に石田 将也への机の落書きを消していたが、西宮 硝子が転校後はそれは残されたままとなり、その時初めて石田 将也は西宮 硝子の優しさに触れ後悔した。

石田 将也は補聴器の弁償と謝罪後、自殺を決意し、弁償のお金が溜まり、西宮 硝子に会いに行くところから物語が始まる。

西宮 硝子と再開後は、石田 将也は過去を償う為に西宮 硝子の望む事を積極的に取り組む中、小学校の同級生、佐原 みよこに会いたいと望まれ、過去のトラウマなどあり、辛いながらも同級生達と再び関係を持ち努力、葛藤しながら西宮 硝子に償おうとした。

 そんなおり、西宮 硝子もまた自分が居る事で皆を不幸にしてしまうと思い悩み、自殺を試みた所、石田 将也に助けられるが、石田 将也がマンションから転落してしまう。

なんとか命は助かったが、再度バラバラになった同級生をひとつにするべく、西宮 硝子もまた、覚悟し、励ましの言葉や中傷の言葉をかけられながらも走り回り、繋がりを元に戻していった。

石田 将也、西宮 硝子共にお互いが必要だという事に気がつき、

石田将也が「生きるのを手伝って欲しい。」と伝え、共に生きていく事を選んだ。

この後の文化祭で入院後初めて学校に顔をだすが、対人恐怖症から怖気づいてしまうが、西宮硝子や同級生の謝罪や勇気づけのおかげで、対人恐怖症とも向き合い克服するという感じで映画版は終了する。

コミック版はもう少し続いており、進路の事や石田将也を中心でイジメていた相手とも向き合う成人式の所までが描かれている。

聲の形のテーマ

「映画 聲の形」はイジメの作品と取られる事がある見たいだが、この作品は、現実でも起こりうる相互的なコミュニケーションが取れていない時の「ズレ」がテーマになっている。

いわゆるディスコミュニケーションと言われる状態がテーマだから、基本的には悪い子は居ないという想定で書かせてもらうが、現実に当てはめた時にはこの「悪意が無い子が居ない」という部分は難しいかもしれない。それこそ性善説、などの討論になりかねない。

だから、全てが現実の問題に捉える事は難しいのかもしれないが、それでも現実の人間という物を、ここまでリアルに抽出している作品はあまり無いので題材に使う事にした。

ディスコミュニケーション

このアニメでのポイントは、「相手を理解しよう。」という想いが無い事と、少年少女達の「知識の狭さ」が、ディスコミュニケーションという状態を作っている。

でも、この現象は私達のすぐそばで、簡単に起こっている。

例えば、SNSでも起こっている。

皆さんの中でも何かしらのSNSをやっている人は多いのではないだろうか。

単純に相手が嫌いだからというのは置いとけば、誹謗中傷の大半が、このディスコミュニケーションから生まれていると言っても良いと思う。

一般的に親友(相互理解)になる経緯は、自分と相手の考えや性格、嫌いな事などを深い状態まで理解し合えた状態が、いわゆる親友と言われる状態だと思うが、SNSではそのもっと前、友達状態ですら無い状態で意見を交わす事になる。

だからこそ、ディスコミュニケーションの状態に陥り易く、相手の事を考えず、一方的に「自分は正しい。」の思いから攻撃してしまう。

ここには、「相手を理解しよう。」という気持ちと「知識」という所が欠けている。

ただ、ここで言う「知識」というのは単純な「知識」ではなく、相手の過去や思い、考え方などの知識も指している。

以前にも書いたが、三浦春馬さんやダルビッシュ有さんのツイートが当てはまると思う。

私もツイートを見ていたが、本質的な意味とはかけ離れた所での批判が多かった様に思える。

IT時代になり簡単に繋がれるようになったが、理解が浅い関係で繋がれるようになったのは、ある意味不幸なのかもしれない。

相互理解

劇中にこんなシーンがある、

今までノートを通して会話してきたが、もっと気持ちを伝える為に、先生が「西宮さんともっと話すために手話を覚えませんか?」と問いかけるシーンがある。

この問いに、同級生の植野 直花は「私はノートで話す方が楽なんですけど。」と返している。

この答えは、言い換えると「私は、あなたを深く知りたくないです。」と言い換える事が出来る。(少しひねくれた取り方かもしれないが。)

例えば、こんな場合はどうだろうか。

ポケトークなどの何かしらの翻訳機を利用して海外の人と話す場合。

辞書などを調べ一生懸命自分の口から伝える場合。

確かに、翻訳機を通して会話をした方が圧倒的に楽だと思う。でも、後者の方がどれだけ片言でも、圧倒的に気持ちは伝わると思う。

また、誰かを好きになった事がある人(友人関係も含めた意味)であれば分かると思うが、無駄な事を知っていく事で、”その人”という人物像が分かってくる。この場合、コミュニケーションに重要な言語となれば、なおさら苦労や辛い事も共有できる事になるが、それを拒んだ時点で、ディスコミュニケーションが始まっている。

ただ、植野 直花の名誉の為に付け加えておくと、この時は、植野 直花だけではなく、その他の同級生や先生を含めた全員が、西宮 硝子を理解しようとしていなかった。(佐原みよこを除いて)

単純に、好きだからと言って仲良くなれるわけでは無い。

だからこそ、悪い結果になると心に大きく傷が残り、良い結果になると心から自然に笑える様になる。

ただ、クラス全体が単純に悪いという訳でもなく、西宮 硝子自身も受け身になりすぎる所がこの要因を悪化させている場合もある。

過去などは、詳しくは書かれていないが、やはり過去にもイジメがあったらしいので悲観的になるのも分かる。

私も人間関係はあまり得意な方ではないから、この二人の主人公に重なる部分が多くあり、気持ちはなんとなく分かるが、人と話す時に、良い人、悪い人、関係なく対人関係は怖く感じる。

それは、素の自分をどう思われているか、どう感じたかなど気になってしまう為、偽りの自分が出てくる。

要は、受け身的な対応になってしまう。

でも、コミュニケーションは相互を基本としているから、相手も僕自身が受け身すぎると、「嫌われているのかな」なんて思い、付き合いが無くなる事もあった。

この様に、コミュニケーションは共同作業と言える。

だから、西宮 硝子の過去も分かるが、受け身すぎる事で「ズレ」を発生させるきっかけになった可能性はある。

例えば、嫌な事をされても「ごめんなさい。」と、謝る所は正に受け身と取れる。

確かに、逃げるというのも一つの正解かもしれない。でも、この場合は向き合うからこそ、歯車が動きかみ合うので、その前に逃げてしまうのは「ズレ」の原因になりかねない。(すべての場合に、向き合った方が良いと言っているわけでは無い。)

伝わる形

禅の言葉で冷暖自知という言葉がある。

要は、聞いたり見たりしただけでは、感じた事や思った事は分からない。自分が体験する事で初めて、感じたり、思った事の意味が分かるという言葉だが、「伝わる」というのはこの言葉に集約されていると思う。

人の思考は、基本的に自分が見たもの、感じたものから生まれている。要は、主観から得た情報なのだ。どれだけ客観的に考え様としたとしても、それは、主観的な客観に過ぎない

だからこそ、この主人公の二人が分かり合えたのは、似たような体験が出来たからだと思う。

良い事でも、悪い事でも、頭での理解より体験に勝る、理解は無い。

これは大半の人は、頭では分かっている事だと思うが、意識的に誰かに寄り添う為に同じ体験をしようとしている人は少ないと思う。

石田 将也もタイプ的にも、クラスのポジション的にも、なかなか”イジメられるという事は無かったと思う。

ただ、幸か不幸か、西宮 硝子の一件から立場が逆転して”イジメられる側”の気持ちを知ったからこそ、西宮 硝子の気持ちが少し身近に分かるようになった。

この事が二人を接近させて、「ズレ」を解消させ相互のコミュニケーションのきっかけになっている。

それだけ人に寄り添ってモノを考えるという事は、難しいのだと思う。

伝える形

伝わるのも難しいが、伝えるのも難しい。

劇中の小学生時代では、西宮 硝子と同級生の壁として「会話をする行為」が描かれている。

西宮硝子は、話すのも苦手だし、聞き取れない、同級生も手話は使えないし、聞き取れない。といった感じで大きな壁となっていた。

でも、これも私達の近くに潜んでいる。

私達の近くにあるのは「知識」という差で潜んでいる。

例えば、会社などで、良く横文字が飛び交ってはいないだろうか?

「エビデンス」や「コンプライアンス」、「アジェンダ」など

わざわざ横文字で言う必要はあるのだろうか?

学者や専門性の強い人達だけの時は、飛び交うのは分かりるが、一般社員などが多い所で使うという事は、仕事の内容+この横文字の意味を分かる必要が出てきて、人によったら全く伝わらない危険性がある。

ちなみに簡単に訳すと、

コンプライアンスなら → うちの会社は、ルールを守りますよ。

エビデンスなら → その根拠は?

アジェンダなら → 今日の議題は?

こんな感じで誰もが分かる様に変換してあげた方が分かり易くなる。

また、横文字の意味が分かっている人でも、「知っている」のか、「説明できる」のかで、知識の差が出てくる。

だからこそ、伝える際は、知らない側に合わせる必要がある。

知らない側に知識を合わせる事で円滑に伝えれる様になる。

聲の形に当てはめると、同級生が西宮 硝子に合わせて手話や、手話が出来なくても丁寧にノートを通じて会話をしていれば、あのクラスはイジメ問題は無かったと思う。(同級生の理解などは、この際横に置いて考えてください。)

この、「伝える」・「伝わる」を共にやる事で、コミュニケーションをとる事が成り立つ事になる。

最後に

話しかけるとか、自分をさらけ出す事の難しさは、人によっても様々に変わると思います。

初めての人に、「やぁ~」と簡単に出来る人や、主人公の二人みたいに、対人に不安がある人にとったら、もの凄い難しい仕事になったりします。

でも、大切なのは自分が「どうしたいのか」だと思います。

石田 将也は自分の過ちを反省し、どんなに会いたくない人でも、「謝る」と覚悟したから、先に進めたのだと思います。

西宮 硝子にも自身の自殺後、自分が壊したと思い悩んだモノ(石田将也の人間関係)を直すべく、覚悟し、苦手な人にもぶつかり、原作の最後付近では、普通に話せる仲にまでなっています。

覚悟は、未来を切り開くカギになりえるのです。

確かに、たかがマンガの中の出来事だから、現実とは違うと感じる人も居ると思います。

でも、そこで覚悟が出来るかが、自身を先に進めるれるかの分かれ道になるのではないでしょうか。

この度は、ご購読有難うございます。

また、最後までご覧頂き有難うございます。

 

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